Episode 6
衝撃の慶早六連戦
平素より慶早戦支援委員会のWebサイトをご利用いただき、ありがとうございます。
前回のEpisode5では、戦後復活した六大学野球に関して取り上げました。
今回のEpisode6では、語り継がれる『慶早六連戦』についてお伝えします。
慶早戦が6日間も続く... 現在の学生野球の規則からは到底考えられないことですが、1960年の秋、神宮球場にて激闘が繰り広げられていたのです。
実はこの年、慶早戦は優勝を決める戦いでもありました。下馬評も高かった慶大は首位を走り、勝ち点を奪えば優勝が決まる状況で優位に立っていたのです。早大は勝ち点1差で次点に立っており、2勝した上で優勝決定戦へと持ち込むというシナリオを描いていました。
初戦は11月6日。6万を超える観客が押し寄せた一戦は、早大が先制します。早大のエース安藤投手は慶大の強力打線を1点に封じ、優勝に逆王手を掛けます。しかし、翌日(7日)は変わって慶大ペースとなり、1勝1敗とイーブンに。第3戦へもつれ込むこととなりました。
8日の第3戦、早大は再びエースの安藤投手が先発し、優勝決定戦になんとか持ち込もうという気迫を見せます。痺れる投手戦となりますが、慶大は守備のミスが絡み失点。安藤投手は完封勝利を納め、チームを土壇場で救うこととなりました。
こうして賜杯の行方は1試合限りの優勝決定戦へともつれ込みますが、簡単には決着がつきません。11月9日、4日目の対戦は9回1アウトまで慶大がリードしていたものの、土壇場で追いつかれ延長戦に。そして11回裏にて日没のため再試合となってしまいます。当時の明治神宮野球場にはナイター設備がなかったため、こうした事態となったのです。
選手の負担を考慮し10日を休養日としますが、11日も手に汗握る展開が続きます。安藤投手は4連投でしたが、要所を締めてスコアボードに0を並べます。一方慶大の角谷投手も早大打線を零封。そして再び日没のため再々試合の宣告がなされるのでした。
そして11月12日。この日は安藤投手の熱投に応え、遂に早大打線が目覚めることとなり、序盤に先制に成功します。安藤投手はピンチを招きながらも慶大打線を1点に抑え、完投に成功。6試合を通してなんと49イニングを投げ切り、3失点しか許しませんでした。
その後安藤投手はプロの道に進み、ルーキーイヤーではチームの日本一に大きく貢献する活躍を見せますが、徐々に成績は下降。4年目の1965年には引退を発表することとなりました。しかしプロ初登板、初勝利を成し遂げたのも明治神宮野球場であり、相性の良い球場だったと言えるのかもしれません。早大野球部史において、名を残す選手であったことは間違い無いでしょう。
歴史に残る6日間の戦い、いかがでしたでしょうか。3試合制が復活し、各校の実力が拮抗している現在、歴史に残るような戦いがまた見られるかもしれません。今後の戦いにもぜひご注目ください!