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Episode 5

復活した大学野球

平素より慶早戦支援委員会のWebサイトをご利用いただき、ありがとうございます。

 

 前回は戦時中行われた「学徒出陣壮行慶早戦」についてお伝えしました。今回は戦後に焦点を当て、慶早戦と大学野球の復活に注目します。

 

 戦時中、中断されていたアマチュア野球。1945年の10月に六大学OBによる試合が行われ、11月には全慶早戦が行われます。翌1946年には六大学野球リーグ戦の再開も発表されることとなり、各校が練習に邁進しました。出征していた選手も復学、先述の学徒出陣壮行慶早戦に出場していた選手の一部も、この試合に出場しています。復活後初のリーグ戦(1946年春季)、塾野球部は見事リーグ優勝を成し遂げました。東京大学も2位と健闘し、大学野球を盛り上げます。秋季は早大に優勝を許すこととなりますが、1947年には春秋連覇を達成するなど素晴らしい成績を残します。後にプロ野球で活躍することとなるスター選手も多く抱え、早大と共に優勝を分け合い黄金時代を築き上げます。1951年のニュース番組では、春の慶早戦に約6万人もの観客が入り、声援を送ったことが報じられていました。

 

 1955年、ある選手の活躍が六大学野球人気に火をつけます。当時立教大学2年だった長嶋茂雄氏です。ベストナイン、首位打者の獲得、そして当時の新記録となる4年間通算8HRを放ち、注目を集めます。4年時には立教大学の春秋連覇に大きく貢献しました。打撃に加え、広い守備範囲も高評価を受けていたそうです。結果的に読売巨人軍への入団を決めた長嶋氏、その後のご活躍は言うまでもなく素晴らしいものとなりました。

 

 1957年、58年は立教大学がなんと4連覇を果たしますが、他大学が黙っているわけではありませんでした。1960年、塾野球部は低迷が続いていたため、OBである前田祐吉氏を監督に招聘します。そして1960年秋、歴史に残るあの六連戦を迎えることとなるのです。

 

 次回は「慶早六連戦」について紐解いて参ります。「6日続けてやったの?」「やっても3回戦まででは?」「選手は大丈夫?」今では考えられない1週間に及ぶ戦い、皆様の疑問にお答えして参ります。

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